“日本人の中心には無がある”ってどういうこと?『幸せの日本論』をきっかけに哲学対話してみた
ここちラボ
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私たちここち編集部は、「ここち」というメディアで、忙しい日常の中で等身大で生きていくためのヒントを発信しています。
そんな活動の中で「自分たちもウェルビーイングや日本人の幸福感について日々継続して学び研究していくことで、読者のみなさんをよりサポートできる発信ができるのでは?」と考えました。
今後は、さまざまな研究者や著者が語る”幸福”や”ウェルビーイング”について、編集部メンバー同士で学んだ内容を発信していきます。(学び一覧は「ここちラボ」を見てね!)
第3弾として、課題図書 『幸せの日本論 日本人という謎を解く』(2015年・前野隆司著/角川新書) を読んで得た知識や考え方、より興味が湧いた内容をこの記事で紹介します。
本書を読んで気になった内容や興味が湧いた内容を元に、今回は編集部メンバーふたりで哲学対話をしてみたので、その様子をお届けいたします。
編集部メンバー プロフィール紹介
青木くん
19年卒。4年間ソフトウェア商社で技術職として働いた後、海外留学をしたり先生になってみたり、生きたい人生を自由に歩んでいます。今はコーチとして目標設定や思考の言語化などをお手伝いしています。ここちサポーターとしても活動。MBTIは広報運動家(ENFP)。
かーしー
19年卒。2025年3月に転職して、IT企業に就職、2ヶ月で早期離職しました。最近ハマっているのは哲学対話で、次に対話したい哲学対話のテーマは「空気を読みすぎると心が痛いのはなぜ?」。MBTIは仲介者(INFP)。
今回読んだ課題図書「幸せの日本論」
今回、ここち編集部が課題図書として選んだのは 『幸せの日本論 日本人という謎を解く』(2015年・前野隆司著/角川新書) 。本書は、「日本人とは何か」「日本文化とは何か」という問いに対して、日本人の国民性や日本文化の本質を、歴史や思想、比較文化などの観点から深く掘り下げて考察されている一冊です。
著者は前野隆司さん。幸福学や日本文化論、社会システム論、思想史など、多岐にわたる分野に造詣が深く、特に日本人の幸福感や精神性、社会構造について深く研究されている方です。武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授、慶應義塾大学名誉教授、ウェルビーイング学会代表理事を歴任されています。
なぜ日本人は、はっきり言わないの?
「日本人は考えをはっきり言わない」「人の目を気にする」…これらは、私たちが日常で感じたり、あるいは海外と比較されたりする中でよく耳にする「日本人あるある」ではないでしょうか。本書では、こうした日本人の特徴について切り込んでいます。
“あいまいさ”に宿る日本的価値観
前野さんは、まず「よく言われる、日本人の特徴」として下記のような項目を挙げています。
日本人には表裏がある
日本人は考えをはっきり言わない
日本人は必要以上に謝る
日本人は人の目を気にする
日本人は決断が遅い
日本人は意味もなくニコニコ笑う
日本人は独立心、自尊心、自己統制感が低い
日本人は外国人に対して差別をする
日本人には海外コンプレックスがある
日本人は日本人論が好きである
ドキッとするような内容ばかりですよね…!これらの特徴の中で、特に「考えをはっきり言わない」「人の目を気にする」「決断が遅い」といった点について、前野さんはこのように分析されています。
①の日本人には表裏がある、②の日本人は考えをはっきり言わない、④の日本人は人の目を気にする、⑤日本人は決断が遅い、あたりとも関係していそうです。
つまり、考えが明確でないから裏になったり表になったりする、そもそも考えがはっきりしていないから考えをはっきり言えない、自分に自信がないから人の目が気になってしまう、考えがはっきりしないからなかなか決断できない、というわけです。
本書によるとどうやら「考えが明確でない」ことが、日本人あるあるの行動の根っこにあるのかもしれない、とのこと。
“考えなくても大人になれる”日本社会で、私たちは何を失っている?
さらに前野さんは、日本社会のあり方についても言及しています。
日本は、自分の考えを持っていなくても大人になれてしまう安全・安心社会であり、それが考えなくてもいい社会を助長しているといえるかもしれません。
日本は海外と比較して電車で居眠りをしても物を盗まれることが少ないくらい、安心・安全である国であることは、とても誇らしいことだと感じています。でも「自分の考えを持たなくても大人になれてしまう社会」。これはかなりグサッときます…
古くから島国である日本は他国と交流することよりも、自分の国の中でどのようにうまくやるか、波風立たずにコミュニケーションをとるか、そんなことを重視してきた国なのだと、改めて本書から考えました。
前野さんがおっしゃる通り、ある意味では生きやすい社会かもしれませんが、一方で、主体的に考える機会を奪っているとも言えるのかもしれません。普段何気ないコミュニケーションの背景に、日本らしい構造があることはとても興味深かったです。
日本文化の中央には「無」の考えがある?
「中心に無がある」とは
本書の中で、特に印象的だったのが、日本文化の中心に「無」がある、という視点でした。
私自身「え、中心が”無”ってどういうこと?中心が無いってこと?」と、最初は戸惑いしか出てこなかったこのフレーズ。前野さんの説明を読むと、それが日本文化の柔軟さや強さにつながっていることが紹介されています。
結論から言うと、「日本人は、中心に『無』がある文化を持っていて、どんな新しいことも矛盾なく受け入れ、やがて日本化する」ということではないかと思います。
例えば、アメリカという国の中心には「愛と自由」といった明確なものが
アメリカ人の中心にあるのに対し、日本の中心にはそのような具体的なスローガンはなく、強いて言えば「無」がある、と前野さんは指摘されています。 そして、この「無」は、決して空っぽで何もない、ということではないと強調されていました。
無とは、腑抜けということではありません。後で述べますが、武士道の精神は、まさに無常、無我、無私の精神に支えられている。無欲で無心。だからこそ、強いのです。そのような強さの根源という意味も込めて、無だと思うのです。
この「中心が『無』である」という特性が、日本が古来より様々な外来文化を受け入れ、それらを日本独自のものへと昇華させてきた原動力になっていると前野さんは語られています。
「何もない」があるから強い?日本文化の多様性と独自性の由来
日本は、古来、仏教や、儒教や、漢字を輸入してきましたが、それらをただ受け入れるのではなく、ひらがな文化や武士道といった日本流の形に変化させてきました。 近代以降も、欧米の文化を受け入れてきましたが、これをこれから日本流に消化する時代なのではないかと思うのです。それができるのは、中心に「無」があることによる無限抱擁性。懐の無限の広さです。そして、一度どんなものでも取り入れてみるからこそ、新たなものが生まれる雑居性。無限の可能性です。
「無限抱擁性」と「雑居性」。これらの言葉は、日本の文化が持つ、しなやかで力強い受容力を的確に表しているように感じます。 前野さんはさらに、中心が「無」であることの意義をこう説明します。
中心に愛や自由があった方がいいように思われる方もおられるかもしれませんが、その場合には、自分たちが考える愛や自由以外の形の愛や自由を受け入れられない可能性があります。中心が「無」である場合にのみ、あらゆるものに対して無邪気に好奇心を抱き、受け入れて自分化できるのです。
固定的な中心がないからこそ、あらゆるものを偏見なく受け入れ、自分たちのものとして消化し、新しい価値を生み出すことができる。そんな点が、日本が持つ大きな可能性では無いかと指摘されていました。
ここち編集部の中では、正直にお話しすると、まだ「中心に無がある」という捉え方、まだ腹落ちできていない状況なので… 今回「中心に無があるってどういうこと?」というテーマで編集部ふたりで哲学対話をしてみました。
哲学対話してみた:「中心に無がある」って、どういうこと?
この「中心に無がある」という考え方、皆さんはどのように感じましたか? 私たちここち編集部のメンバー(青木くんと私かーしー)も、このテーマについてもっと深く考えてみたいと思い、哲学対話をしてみたので、対話で上がった内容を一部ご紹介させてください。
※素人目で読んでいただけると大変ありがたいです…
“無”をどう捉える?編集部メンバーの視点から考える
青木さん: 日本人のベースに「無」があるって言うけど、どれくらい強い傾向なのかな?俺自身は「中心に無がある」って感覚、あんまりないんだよね…
かーしー: うーん、前野さんが話していることはなんとなくわかるけど、必ずしも中心が「無」と捉えなくてもじゃなくてもいい気がする…?私自身が特定の宗教を信じているわけでは無くて、色んなものを一緒のテーブルにおいている状態だなと思っていて。だからこそ、「無がある」よりかは、多様なものが並んでるだけじゃないかなって思う。あと「無がある」というのは、ひと昔前の日本にとっては、宗教を重視する国の方が宗教に置き換わるようなものだったのかなって思った。
青木さん: ちなみに、日本が「無」であることで色々受け入れてきた過去があるって話だと思うんだけど、それって本当に他の国では起きなかったのかな?とも思ってる。欧米の国々が中心に何かを持ってるように見えるのは、むしろ人間的に試行錯誤を重ねた結果じゃないかなって思ったりするんだよね…。今の日本は何か人類がたどる一つの過程のうちの一つに過ぎないんじゃないかなって。
かーしー:愛を中心にしている人たちもそれがなくなるかもしれないし、逆に「無」がある私たちも、いつか中心に何かが来る可能性もあるし、ってことだよね?
青木さん:うん、そんなイメージ。
「日本は赤ちゃん、欧米は青年」?それぞれの比喩と文化の見え方
かーしー:個人的に、「無」がある状態が「赤ちゃん」と例えられるような気がして、欧米のような中心がある国々は色々試した結果中心を持って、問題や課題を抱えている「青年」なのかも。日本は中心に無がある、いわば「赤ちゃん」状態であることで「青年」とは違うアプローチや新しい答えを出せる可能性があるってことにも捉えられるなって、私は思えた。
青木さん: うーん、前野さんも本の中で「昔に戻ろう*1」みたいなことを話していたけど、過去に戻るよりかは、もう進むしかないんじゃないかなって思う。日本は「無」の段階だと認めて、次にどうするか考えないと。過去の出来事から学んでアップデートする感じが必要なんじゃ無いかなって個人的に思ったりする。
*1 前野さんは下記のように話されていました。その内容を「昔に戻ろう」というニュアンスで捉えています。
紀元前5世紀頃の、ソクテラス、ブッダ、老子などが活躍した時代までは、中心が「無」である考え方はむしろ普通だった。そしてそれが、二千五百年にわたって生きながらえてきたのが、日本である。しかも、日本は、新しいものを受け入れつつも、古いものをずっと維持してきた。この普遍性に、現代社会は学ぶべきである。2500年にわたって合理主義に舵を切り過ぎた世界は、もっと日本の無限抱擁性や中空構造に学ぶべきである。これが、本書の主張です。
今回の対話から見えてきたこと
今回の哲学対話では、ざっとまとめてみるとこんな内容になるかと思います。
「日本人の中心に無がある」とは発展途上なのでは?(青木くん)
日本が「無」だから多様な文化を受け入れたというよりかは、変わっている中でのその一瞬を切り取った状態で、中心におく何かを形成している段階なのかも?欧米の国々はいろいろ試行錯誤した上で、中心に何かがある状態なのかも?
日本人の中心が「無」なだけで周りにたくさんあるよね(かーしー)
特定の中心を持たずに多様なものが共存するのは、一つのテーブルの上にさまざまな価値観が並んでいる感覚がしたり。「無」がかつての日本にとって宗教の代わりになるような価値観だったのかも?
「中心に無がある」ということについて、正直とても腹落ちした・共感できたということでは無かった印象でしたが、特に青木くんの「中心に無がある状態は一過性のもの」という考えは、すごく共感できる内容でした。
また、対話が終わった後にふと思いましたが、日本以外の中心に何かをおいている国々が、文化や歴史等、どのような多くの背景や経緯を積み上げてきたのか、とても気になりますね。
「現在その国が、何を中央においていて、どのように中央におくことになったか。」今後異文化に触れたり学んだりする際には、この視点を念頭においておきたいなと思います。
書籍の概要
改めてとなりますが、今回の課題図書として読んだ本は 『幸せの日本論 日本人という謎を解く』(2015年・前野隆司著/角川新書) でした。もし興味を持たれたら、ぜひ読んでみてください。
まとめ
今回は『幸せの日本論』という本書から、私たちの心に響いた2つのテーマと、その内容に関連した「中心に無があるってどういうこと?」というテーマでの哲学対話の様子をご紹介しました。
前野さんの著書を読むと、日本人や日本社会のユニークさや強みがどのようなものでどのようなことがベースになっているか、大変勉強になります。自分たちが何気なく行っていること、感じていることの背景を知ることができることも、とっても刺激的です。
皆さんもぜひ「中心に無がある」ってどういうことか?本書を読みつつ、考えてみていただきたいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました!







